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プログラムを書く人とそれを書かない人との間には、やっぱり価値観に隔たりが有ると感じた。それが良いとか悪いとか、プログラムを書く人が偉いとか偉くないとか、そういう話ではなくて、ただ単純に、ただ決定的にそこには差異があると思った。
差異は重要だ。けれど、その差異について完全に理解する必要は無いと思う。多分、プログラムを書く人はプログラムを書かない人の気持ちを完全に慮る事は不可能だと思うし、その逆も然りだと思う。それは一種のフレーム問題みたいな趣もする。
実際のところ「コードを書きたい気分」なんてものは、コードを書きたい気分になったことがない人には理解し得ないことだし、ましてやそれを否定する事に意味は無い感じがする。そういった想像の及ばない事について、その及ばない想像で否定したりするの、本当に無意味っぽい。
自分の価値観に基いて行動するし、自分の価値観に基いて行動を評価する。それで良いと思う。
だからこそ、価値観の押し付けみたいなのは本当に邪悪だと思う。価値観の押し付け、差異とか多様性とかそういう人間っぽい良い感じのものを否定して、自分の了見の狭さを露呈するだけだと思う。それもそれで人間らしい感じがするけど糞な感じがする。
あの人はあの人の価値観に基いているから、僕とはちょっと合わないなァ、くらいの感覚がちょうど良い距離感な感じがする。