モチベーションの維持をどうやっていくか
個人的な話です.万人に当てはまるわけがない.
だいたいこのツイートで言いたいことは言っているわけですが.
自らのモチベーションの上下を他人にコントロールされるという前提だと,自分で自分のモチベーションを維持できなくなり,結果的にそれを委ねてしまっている他者に対する怨念へと化けてしまうので,己のモチベーションの根源を自分以外の誰かに求めてはならない
— moznion (@moznion) 2020年3月15日
モチベーションが低いと仕事や学業の能率が悪くなるばかりか,しばしば日常生活にまで影響が及ぶことがあります.「仕事」と「プライベート」というように,モチベーションの出どころをキッパリ分けられる方は良いかもしれませんが,僕はこのあたりが割と不可分なのでいずれか一方のモチベーションが破滅すると両方に影響が出てしまうので,モチベーションの維持というのは重要な課題になっています.
もちろんモチベーションの維持に対して承認欲求の達成が有効であるのはその通りだと認識しています.褒められればやる気が出るし,コミュニティから認められればそれはモチベーションの向上に大きく寄与するでしょう. しかし,こういった承認をしてくれる「承認者」は現代の組織体系ではある程度固定されていくものです.それはレポートライン上の上司かもしれないし,チームメイトかもしれないし,家族かもしれない.
承認による快感に囚われると効率よく承認を稼ぐために,その固定化された「承認者」を狙い撃ちにした承認狙いの行動が増えていきます.結果として,モチベーション上下の要因が次第に快感つまり承認の多寡にすり替わっていき,すなわち自分のモチベーションをコントロールする存在が第三者へと移管されていきます.
さて,しかし承認狙いの行動を取ったからといって,第三者が必ずしもそれを評価してくれるとは限りません.評価してくれているうちは良いですが,それが続くと「承認されていた状況」が常態化してしまいます.そして,次第に評価が渋くなってくると今度はその状況にフラストレーションが溜まっていき,「承認されない」ことでモチベーションが下がる,という減点方式へといつしかステージが変わってしまいます. そしてそうなってくると,「なんで評価されないんだ」という内省的な状態からやがて「なんでヤツは評価してくれないんだ」という第三者への呪いへと変わっていき,こうなるともはやゲームオーバーです.モチベーションは永劫回復しない.
というわけで,モチベーションの源泉を第三者に委ねるとロクなことがない.したがって,自分のモチベーションくらい自分で管理しなければならない,という精神になってくるわけです.
もはや最近は「これができるとカッコイイよな〜」とか「これができねえとダサいよな」とか,そういうプリミティブな動機付けをしつつ,それにしたがって様々なものを撃破するという精神性になってきており,「できるとカッコよいもの」ができた時は「俺は地球上で今,最も格好の良い人間!!!」という風に自分をしっかり認めることでモチベーションを高めているという状況です.もちろん,それによって他人に褒められるとそれはそれで嬉しいことではありますが,それはあくまで副次的なものであって特に強く気にしないように心がけています.承認の奴隷になってはならない.
まあそうは言っても超人ではないので,自分一人でモチベーションをどこまで維持できるか,というのはなかなか難しい話題だと思います.自分に対する期待もほどほどにする,って感じにするのが良いのでしょうね.
過度な期待が全てを駄目にする
— moznion (@moznion) 2020年3月15日