職質アンチパターン

無責任な事を書きたい

ものの言い方によって相手の受け取り方が変わってくる、というのは小さい子でも分かっている話だと思うんだけれど、その「受け取り方」、つまり「ものの言い方」によって、「その言葉が相手のためになるかならないか」という所にも影響を及ぼす、という事にはあまり注意を払われていない感じがする。

同じ内容でも、言い方1つで「なるほどー、勉強になるなァー」と膝を打つ事もあれば、「うるせえ畜生、殺すぞ殺すぞ殺すぞ殺すぞ殺すぞ殺すぞ殺すぞ殺すぞ」と呪詛の言葉を紡ぐ事もある。

無論、前者の方は素直に相手の言う事を聞き入れられるから為になるし、後者は全く為にならない。むしろ後者は「アイツの言う事なんか信じるものか。くたばっちまえ!」となってしまい、結果的にマイナスに働いてしまう。

 

で。

「(いわゆる) モヒカンの人たちは色々な事をズバリ言ってるから、言い方考えなくても良いんだ。じゃあ僕もそうしよう」みたいな誤解が一部に蔓延している雰囲気があるけれども、そんなことは決してないと思っている。

モヒカンの人たち、言い方とか凄い考えてる。その考えぬかれた言い方や発信の仕方によって、為になる知見が広く共有されている。だからこそ、尊敬に値するモヒカンが世の中には沢山存在している。そのことをゆめゆめ忘れてはならない。

もしも「モヒカンは言い方を考えなくても良い」と思っているのであれば、それは表層しか眺めていない浅はかな思考なので思い直したほうが良いと思う。ただのポーズとしてそれを真似ているだけならば、今すぐにやめるべきだと思っている。

 

つーか、こっからはマジで腹が立っている事なんだけれど。

知識的に劣位に立っている人間をアイロニカルな言い方で叩きのめすという行為は、ただ単に「マウントポジションを取りたい!!!!」というサディスティックな欲求に基いているだけの場合が多いので本当に邪悪だと思う。

真に相手の事を思って、何か発言やアドバイスをしているのであれば、おのずと言い方は熟考されるし、洗練されると思っている。

なので、ものの言い方によって、その人が何を目的としているのかが垣間見れる感じがする。出来れば悪意を覗き見ることが無いように暮らしたい。