職質アンチパターン

無責任な事を書きたい

随分前の話だけれど、「第16回文化庁メディア芸術祭」というのに出かけてきた。

いわゆる「メディアアート」と呼ばれるものの中で、秀でていると認められた作品が数多く展示されており非常に面白かった。(ただ、「メディアアート」という名前は非常に鈍くさい感じがしてあまり好きではない。けれども、代替となる良い言葉が思い浮かばなくて難渋している)

メディアアート、本当に意味がわからないものが沢山ある。ここで言う「意味がわからない」というのはネガティブな意味合いではなく、むしろ尊敬の念が込められている。「意味がわからない」というのは「上手く自分の言葉に置き換えられない」「既知のものに同定できない」という言い換えが出来るかもしれない。自分の想像や常識を易易と飛び越えるものに触れるというのは、脳のよくわからない部分がヒリヒリして非常に良い刺激になる。

ただ、残念だったのは、作品を見ながらにして思ったことや感じたことをなんでもかんでもだらだら口から漏らす人たちだ。「すごーい」「かわいー」みたいなありふれた言葉で「よくわからないもの」を無理やり定義して一体何になるんだろう。

「よくわからないもの」を理解するのには時間が必要だ。「よくわからないもの」を自分の中で熟成させてゆき、同時並行で徐々に分解してゆき、その分解した要素を「今までの知識」と「熟成・分解を行なっている間に得た新しい知識」を以ってして分析してゆく事により、「よくわからないもの」が「新たな理解」に変わるはずだと思っている。従って、「よくわからないもの」に対して安易にケリを付けてはならないと常々感じている。

 

あと、これはすげー勝手な感想なんだけれど、「『よくわからなもの』ばっかりだとお客さん引いちゃうんじゃない? もっとわかりやすいものも置いとこう」みたいな文化庁メディア芸術祭の中の人の思惑を垣間見た気がする。あからさまに「わかりやすいもの」が会場内にコンスタントに展示されていた。しかもこの「わかりやすいもの」というのが、メディアアートの表層だけをザラッとさらって持ってきたようなアレさで少しだけがっかりした。